地元のネットワークに助けられた

パー子は携帯電話を持ってないのよ。最新機器が極端に苦手で、自分で絶対にできないと決めつけているの。それで、外出時、僕に用事があると公衆電話から電話をかけてくる。その電話にも僕は丸1日、いや2日か、出なかったんだね。あとから聞いたら、パー子はその間、赤羽の街を彷徨っていたらしいの。少しのお金を持っているうちは「名代 富士そば」でそばを食べて、行くところがないから、そこでじっとしていたらしい。それで閉店になると外に出されて……。

それから? まったくねぇ。本当にかわいそうなことをしちゃって、あとから何度も謝ったわよ。わかったのは赤羽警察署からの電話なの。困り果てたパー子が警察に相談に行って、たまたま相談にのってくれた警察官が僕らの行きつけの店のおかみさんを知っていて、そこから僕の携帯に電話をくれたの。

赤羽はパー子の生まれた街だし、僕らは長年住んでいるから地元の知り合いがけっこういて、そのネットワークに助けられたわけ。

そんな僕をとても心配してくれたのが、『笑点』のレギュラーメンバーの林家たい平師匠です。地方公演から浅草演芸ホールに駆けつけてくれて、「ぺーさん、“読み切り”をしましょう」と言ってくれたの。

僕も知らなかったんだけど、落語界には古くから、どうにもならない災難に見舞われた仲間を助けるために、特別な演芸会を開く「読み切り」という会があったんですって。僕が知らないだけじゃないの。言い出したたい平師匠も本で読んで知っているだけで見たことはなかったんだそう。

※本稿は、『ヨレヨレ人生漫談』(小学館)の一部を再編集したものです。

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ヨレヨレ人生漫談』(著:林家ペー/小学館)

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