原田さんと意気投合した田崎さん
ノンフィクション作家・田崎健太さんと何度かお会いしているうちに、鳥取に住んでいた過去を知った。小学校の時に3年間鳥取市に住み、お父さんは医師。医療とも縁があった。頭の中で今度は音がした。
「田崎さんをなんとか口説いて、新雑誌の編集長になってもらおう」
田崎さんは、1999年に出版社を退社。ノンフィクション作家として仕事をしている。自分は一度も編集の仕事をしていない。作家と編集では仕事の中身が違うと固辞された。そこでこの広報誌にかける思いとブランディングの話をした。合わせて原田省(たすく)病院長(当時)の鳥大病院を変えたいという熱い思いを一生懸命伝えた。
「米子市は、人口約16万人。鳥大病院は一日の滞留人口が約6000人。地域で一番大きな人の集まる場所。地域の文化や経済のハブ的な役割をもっと担うべきだ。広報誌を病院の知名度アップの起爆剤にしたい。原田病院長に会ってはもらえないか」
田崎さんは、その誘いに最後は乗ってくれた。そして田崎さんと原田さんが、米子で実際に会ったのは、2018年の秋だった。原田さんは、米子出身の経済学者でもっともノーベル経済学賞に近いと言われながら2014年、86歳でこの世を去った宇沢弘文さんの話を引き合いに出した。
「宇沢弘文先生の社会的共通資本という考えを知っていますか? 宇沢さんの考えによれば、病院も実は社会的共通資本なのです」
この言葉が田崎さんを動かしたのかもしれない。地方の地盤沈下と東京一極集中に疑問を抱いていた田崎さん。地方の痛みを知らない人たちが、東京の目線だけで考え、日本の社会全体を動かす怖さ。首都圏と地方の分断に一石を投じてみたいと、田崎さんには、そんな思いを持っていただいた。
その想いとともに、鳥大病院が医療機関であるのと同時に地域で一番人の集まる場所。そこから発信し都会には無い豊かさをどう維持していくのかを新広報誌で体現してみたいと原田病院長と意気投合した。「ファクト」「医療」「地域」、3つの言葉が田崎さんから提示され、新広報誌の方向性が決まった。
田崎さんの号令で東京から一流のスタッフが集まった。中国北京で語学留学の傍らロイター通信の現地通信員として写真撮影のキャリアをスタート。出版社勤務を経て写真家・坂田栄一郎氏に師事。第20回さがみはら写真新人奨励賞受賞のカメラマン・中村治さん。アートディレクター・装丁家として数多くの書籍の装丁や写真集、広告のデザインを手掛けてきた三村漢さん。
その他、著名なライターや作家など、私とは異なるフィールドのクリエィターが米子に集った。そして鳥大病院の広報・企画戦略センターのメンバーも参加して鳥大病院の画期的な病院新広報誌が産声をあげる。