中学校卒業後の学生を対象とした5年制の高等教育機関「高等専門学校(高専)」。文部科学省の「令和7年度 学校基本調査」によると、高専の学生数は約5万6000人で、前年度とほぼ横ばいだったそうです。どのような学校なのかイメージしにくいという方もいらっしゃるかもしれませんが、龍谷大学文学部准教授・手嶋泰伸先生は「工学系技術者の世界では高専の存在感が大きく、高専が輩出する技術者は日本の産業界と社会を支えている」と語ります。そこで今回は、手嶋先生の著書『高専―戦後日本のエンジニア養成』より一部を抜粋し、高専の知られざる歴史に迫ります。
初期の大学編入学
1962年に一期校が開校し、その一期生が3年生となるのが64年だ。この年、国立高専の連合組織である国立高等専門学校協会(国専協)の理事会で、卒業生の大学編入学を実現するため、特別委員会での検討が始まる。高校―大学のルートよりも早期に社会に出られることに魅力を感じて入学した学生が多く、大半の卒業生は就職すると見られていた。
しかし、同時に非常に優秀な学生が集まっていたことから、大学でより深く学ぼうと志す学生が一定数いることも予見できていた。国専協は各校が地元大学に働きかけつつ、文部省の支援を得ることを取り決める。
高専制度の創設に携わった文部官僚の犬丸直は、当初より「高専を完成教育の機関とする原則は堅持しつつも大学への編入の途をひらき、また、後年実現するような、高専修了後大学院のレベルまで登ることのできる独自の教育機関の構想をも、当時すでに持っていた」と回想している(「高等専門学校について考える」)。
高専制度を書き加えた改正学校教育法でも、「高等専門学校を卒業した者は、監督庁の定めるところにより、大学に編入学することができる」と規定している。文部省は管轄する各国立大学に、高専からの編入学生の受け入れを要請していった。