ムンクの絵のような空(撮影:末井さん)
編集者で作家、そしてサックスプレイヤー、複数の顔を持つ末井昭さんが、72歳の今、コロナ禍中で「死」について考える連載「100歳まで生きてどうするんですか?」。母、義母、父の死にざまを追った「母親は30歳、父親は71歳でろくでもない死に方をした」が話題になりました。第8回は、末井さんがスポーツ嫌いになり、心身の不健康を突き詰めた理由についてです。

第7回●「定年退職は喜びの日。嘘まみれの生活、夫婦喧嘩から解放され…」

肺結核で町の病院に入院した母

もし今がコロナ禍でなければ、「オリンピックやパラリンピックなんかやめちまえ!!」なんて言うと、ひんしゅくを買うどころか、捕まって留置場に入れられるかもしれません。近年スポーツがのさばって、世の中がスポーツ・ファシズムみたいになっているようにぼくには思えます。

今度のオリンピックは、国としてどんなことがあってもやらなければならないということになっているようですが、ぼくはオリンピックにもパラリンピックにも興味がないので、やってもらいたくありません。今回は、なぜ自分がスポーツ嫌いになったかというお話です。

前にも書きましたが、ぼくの母親は弟を産んだ後、肺結核で町の病院に入院しました。ぼくが3歳の時です。母親がいない間、祖母がぼくと弟の世話をして、父親は鉱山で働いていました。やがて祖母が病気になりその2年後に亡くなります。

父親は困って、弟を母親の妹が嫁に行っている家へ預け、ぼくは母親の叔母の家に預けられました。ぼくが預けられた家は小学校に近い所にあったので、幼稚園代わりに小学1年生と2年生の教室(複式学級でした)の後ろに机と椅子を置いてもらって、学校が終わるまでそこで過ごしていました。その数ヵ月の期間を、ぼくは小学準1年生時代と言っています。

母親が家に帰って来た時は、ぼくが準1年生だったのか、正式な1年生だったのかが定かでないのですが、母親が家にいるようになったので、ぼくと弟は家に戻されました。