現代に覚醒した言葉と想像力による共感の力
1960年代後半にウーマンリブ運動のなかで生まれた言葉「シスターフッド」は、女性どうしの連帯を表してきた。ここ数年は文学や映像表現におけるテーマとして新しい息吹が宿り、時代のキーワードになっている。昨年、文芸誌『文藝』も秋季号に特集「覚醒するシスターフッド」を掲げて大きな反響を呼び、発売即増刷に。そこに掲載された八つの短篇に新たな二篇を加えて単行本化。心に突き刺さり、多様な励ましを得られる物語が並ぶ。
岸本佐知子が訳し下ろしたサラ・カリーの「リッキーたち」が描くのは、大学の〈レイプ・サバイバー〉の集会で知りあった四人の女子。痛みと怒りを共有し、眩く危うく生き延びていく彼女たちの日々が詩のようなリズムで語られ、深く揺さぶられる。柚木麻子「パティオ8」は、中庭を囲む平家型マンションに暮らす性格も職業も異なる女性たちが、それぞれの得意なことを活かして共通の困難に立ち向かうのが爽快。藤野可織「先輩狩り」は、感染症の蔓延のため休校が際限なく続く悪夢のような世界で、保護地区に閉じ込められいつまでも女子高生のままでいなくてはならなくなった女子たちが夜を探り歩く。
どの物語も、女性たちの関係性は単純ではない。友達とも仲間とも言い切れず、性愛が絡むこともあるし、そもそもポイントは〈女性であること〉ではないのかもしれないとさえ考えさせられる。私たちの現実がそうであるように、連帯はそのつど生成し変化せざるをえない。だが、そこにこそ微かにやわらかな希望が灯るのだ。
#MeToo運動にみられるように、SNSの広がりは遠いところにいる知らない誰かの苦しみに寄り添う姿勢を示すことを可能にした。損得ではない、自分の内なる苦しみに呼応するから放っておけなくなって手を伸ばす、その一瞬の心の動きが寄り集まる。それをシスターフッドと呼ぶなら、現代に覚醒した言葉と想像力による共感の力は、この先も数多の物語を実らせながら、このろくでもない社会を揺さぶり、そこから自由になる未来を描いていくのではないか。そう思わせてくれる最先端のアンソロジーだ。