相模国(現在の神奈川県)で待ち伏せしていた国造を草薙剣で征伐するヤマトタケル。「少年三種の神器の歴史」(著:栗山周一 、大同館書店)より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション
英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かす本連載。第12回は「伊勢神宮と、女装の物語」。

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女服の神威を暗示しているかもしれないのは『古事記』だけ

ヤマトタケルは、クマソの討伐に成功した。単身で敵の懐へとびこみ、その首領をうちとっている。

記紀によれば、その時ヤマトタケルは女装をしていた。女物の衣服を身にまとい、スパイめいた作戦で、敵将の寝首をかいている。そして、『古事記』だけは、主人公がはおった女服の由来をのべていた。ヤマトタケルはこれを、叔母のヤマトヒメからゆずられている、と。

ヤマトヒメは皇女である。伊勢神宮につかえる斎宮でもあった。そして、神宮には皇祖神だとされるアマテラスオオミカミが、まつられている。だから、ヤマトタケルの戦果は、しはしばこう説明されてきた。

ヤマトヒメが甥にてわたした女物の衣服には、アマテラスの神霊もやどっている。その神威にまもられ、ヤマトタケルは敵をうちはたした。神宮やヤマトヒメ、そしてアマテラスの力には、そういう神通力がある。『古事記』の当該箇所は、その霊験をことほぐ読みものになっている、と。

これが、現在の学界で定説とされる読解である。ヤマトタケルも、ただ女になりすましたわけではない。服を着がえることで、神の加護をうけつつたたかった。『古事記』の女装譚は、そう解釈するのがふつうになっている。

なるほど、『古事記』の叙述は、今のべたように読める可能性がある。だが、女服の神威を暗示しているかもしれないのは、『古事記』だけである。『日本書紀』には、それらしい言及がない。また、伊勢神宮の古い記録も、女装を神威とは関連づけてこなかった。

皇子は神宮の霊力につつまれた衣服で、敵をやっつけている。どうだ、神宮の霊験はすごいだろう。と、そんなふうにこの神社が、古くから自慢をしてきた形跡はない。

たとえば、『皇太神宮儀式帳』である。この記録は、804年に朝廷へ献上された。神宮の内宮をめぐる、最古の文献である。祭礼のありかたなどが、そこにはくわしくしるされている。ヤマトヒメとアマテラスのかかわりについても、記述はある。

だが、ヤマトタケルのあつかいは、ちがう。そこに、この皇子は、まったく登場しない。クマソ平定も、関東東海への遠征も、記述からははぶかれている。そもそも、ヤマトタケルという名前じたいがでてこない。その別称であるオウスやヤマトオグナの名も、見いだせないのである。