「働く意味」をテーマに取材や講演を行い、『定年後』などのベストセラーを持つ楠木新さん。楠木さんは人生100年時代を言われる今、一つの組織や仕事だけに頼りすぎるのではなく、二毛作、三毛作をする「転身」を加えた生き方も考えてみたほうがいいといいます。そしてそれは「危機に対応する」ということ以上に「いろいろな自分を楽しむための転身」であり、その意味で、読売巨人軍の木村拓也コーチがかつて講演会で語った内容は大いに参考になるそうで――。
巨人軍・木村コーチの講演より
「転身力」について述べるにあたって、読売巨人軍の木村拓也コーチが、プロに入ったばかりの新人たちに語った講演内容を紹介したい。
12球団の新人選手を集めた「NPB(日本野球機構)新人選手研修会」である。
彼は選手時代、日本ハム、広島、巨人と渡り歩き、試合で使ってもらうため、すべてのポジションを守れるユーティリティー・プレイヤーになった。また、もともとは右打者だが左打席でも打てるスイッチヒッターに転向したことで長く活躍した。
周囲からの信頼が厚く、現役引退と同時に巨人軍の内野守備走塁コーチに就任したばかりだった。木村はこの講演で、高校を卒業して19年間プロ野球選手として歩んだ軌跡を振り返っている。
高校通算35本塁打を放った強肩の捕手で、宮崎県下では突出した選手だったが、1990年のドラフト(新人選手選択会議)では指名されなかった。ドラフト外で日本ハムに入団する際、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われた。
だがキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時、「とんでもないところに来た」と気づく。プロのスピードに全くついていけなかったのだ。すぐにやめて田舎に帰らないといけないと思った。