「私の場合は在宅で介護ができる状況だったので、『最後まで絶対に私のそばで』と」(川中美幸さん)撮影:宮崎貢司
歌手の仕事をセーブして、要介護5の母を自宅で介護し続けた川中美幸さん。最愛の母を亡くした後に残ったさまざまな課題とは何だったのでしょうか(構成=内山靖子 撮影=宮崎貢司)

自宅で母を看取ると覚悟を決めて

80代後半だった母が急性心筋梗塞で倒れたのは2014年初めのこと。それから17年10月に92歳で亡くなるまでの約4年間、私は歌の仕事をセーブして、自宅で介護をしていた母に可能な限りの時間と体力を注ぐ日々を過ごしてきました。

大阪でお好み焼き屋を営んでいた両親を東京に呼び寄せたのが約30年前。町田市で暮らし始めた両親ですが、その年の暮れに父が亡くなってしまい、落ち込む母を元気づけようと、町田にお好み焼き屋を開くことにしました。

それから母は16年にわたりお店を続けましたが、体力的なこともあって店じまいし、私と夫が暮らす家に同居することになったのです。渋谷で新たにお店をオープンすると、2歳上の兄が上京し、母と2人でお店を切り盛りするようになりました。町田の家には、今も兄がひとりで暮らしています。

突然の病で倒れる前の母は80代とは思えぬほど元気で、毎日渋谷のお店に通い、「いらっしゃいませ!」とお客様をお迎えするのが何よりの生きがいでした。それが、心筋梗塞で16時間におよぶ手術を受けたことをきっかけに、急激に体が弱っていったのです。

亡くなる1年ほど前からは要介護5の状態になり、私が支えればベッドの上でなんとか体を起こすことができましたけど、自力では歩くこともままならず、食事をするのもトイレに行くのも、すべて介助が必要でした。

もちろん、そんな母を私ひとりで介護することはできません。朝、昼、晩とヘルパーさんをお願いし、最終的には泊まり込み可能なお手伝いさんの力も借りて、お医者様に定期的に往診していただきながら、最後まで自宅で介護を続けることができたのです。

「自分の仕事もあるのだから、介護施設に預けてはどうか?」と、周りから言われたこともありました。でも、私はどんなことがあっても、母を施設には入れたくなかった。“一卵性母娘”といわれるほど仲のいい母と離れるなんて、絶対に考えられませんでしたから。

もちろん、家庭によってさまざまな事情がありますから、在宅で介護をすることがベストとは限りません。介護される方の体調や病状によっては、専門の施設にお任せしたほうがいいこともあるでしょう。ですが、幸いにも私の場合は在宅で介護ができる状況だったので、「最後まで絶対に私のそばで」と、覚悟を決めたのです。