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通常の家庭では、親が子どもに道徳観念や“人として”大切なことを教える。だが、中には歪んだ感情をぶつける相手に「我が子」を選ぶ親もいる。そういった場合、子どもは親に必要なあれこれを教わることができない。私の親も、まさにそれだった。
だが、そんな私に生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたものがある。それが、「本」という存在だった。
このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた私―碧月はるの原体験でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

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17歳、中卒の私には「仕事」がなかった

両親の虐待から逃れるため、17歳で家を飛び出した。これで自由になれる。これで解放される。そう思えたのは、家出をした当日の夜を迎えるまでの間だけだった。17歳、中卒、資格なし。在学中に教師陣が持て囃した偏差値70という数字は、社会に出てみれば何の役にも立たなかった。

アパートを借りるためには、身分証と定職、頭金が必要になる。私は、そのすべてを持ち合わせていなかった。保険証の置き場所は、両親の寝室だった。忍び込んで彼らを起こしてしまえば、家出どころか命さえ危うい。そもそも、未成年の私が保険証を使用すれば、所在地がバレる。使うわけにはいかないものを、危険を冒してまで持ち出す気にはなれなかった。もともと、熱が出ようが嘔吐しようが、病院に連れて行ってもらえた試しはほとんどない。

「そんな無駄金はない」

それが、母の言い分だった。父の酒代はあっても、子どもの医療費に金は出せない。もとい、「私の」医療費に金は出さない。姉や兄は、必要に応じてすぐさま診療を受けていた。そういう家だったから、「病院に行けない」ことに恐怖を感じることもなかった。“慣れ”は、恐ろしい。側から見れば異常な状況だとしても、それが続けば、当事者にとってはただの「日常」となる。

とにかく、家と仕事を探さねばならない。だが、面接条件のほとんどは「高卒以上」か「大卒以上」。中卒で雇ってくれるところはほぼなく、そもそも履歴書には「住所」を記さねばならない。住所がなければ仕事を探せず、仕事がなければアパートは借りられない。八方塞がりの現実に、途方に暮れた。