わかれは常に、あるんだよ――
針生検は4日後の3月8日から9日にかけて、1泊2日の入院で行うと決まり、僕たちは重い足取りで診察室を後にしました。
会計まで向かう廊下を、僕たち3人は無言で歩きました。妻は、杖をつく僕のそばを決して離れようとしません。
ごめん、まきちゃん。
胸の内で、そっと謝りました。
くも膜下出血という大病を乗り越え、実母や伯母姉妹を看取り、ようやく楽になったというのに、今度は夫ががんになるなんて。
それでも僕を気遣って泣き言や気休めを一切口にしないだけに、よけいに申し訳なさが募(つの)ります。
重苦しい沈黙に耐えかね、坂本マネージャーに声をかけました。
「ま、そういうことだから。長い間、お世話になりました」
そして、僕の死後の再放送権料が妻に入るように頼みました。できるだけ淡々と告げたつもりだけれど、彼は黙ってうなだれるばかり。それ以上、会話が続きません。
初めて会ったのは、彼がまだ明治学院大学の学生だった頃。映画監督を目指していた彼とひょんなことから意気投合し、一晩中飲み明かして以来の仲です。
「師匠と弟子」から「俳優と所属事務所社長兼マネージャー」へと関係性は変化しても、人間としての信頼は40年以上、一度として揺らいだことはありませんでした。
しゃぼん玉わかれは常にあるんだよ
先日の谷中ロケで詠んだ俳句が脳裏をよぎります。
どうやら、本物の辞世の句になりそうだな。