ようやく気づいた

物語の序章に綴られたこの一文を読み、頭を殴られたような衝撃を受けた。自分のものでありながら、決して自由にはならない代物。たしかに、記憶とはそういう類のものだ。だから苦しくて、辛くて、こんなにも長い間のたうち回っているんじゃないか。でも、Sはそれを「治せる」という。「記憶の上書きは可能だ」という。

私が知っている“記憶”は、物語の中に記されたものと近しい形をしていた。じゃあなぜ、私はSを信じているのだろう。いや、「信じなければ」と思い込んでいるのだろう。

物語のストーリーと、私の体験は重ならない。だが、本書に散りばめられた言葉の数々が、私の心を揺さぶった。

“何かが歪んでいるような気がした。時間や空気や距離や、そんな目に見えない何かが、どこかでねじれていた。しかしわたしにはどうしようもできなかった。わたし自身、そのねじれの渦にはまりこんでいた。”

「ねじれの渦にはまりこんでいた」ことに、私はようやく気づいた。気づいた瞬間、全身が震えた。その瞬間、私の中に芽生えたのは、怒りでも悲しみでもなく、Sに対する明確な殺意だった。

※引用箇所は全て、小川洋子氏著作『完璧な病室』収録作品『冷めない紅茶』本文より引用しております。

※医療に関する専門的知識や資格を持ち合わせていない人物から、独自の精神療法を受ける行為は、大きな危険を伴います。素人が複雑性PTSDの治療を行うことは、現実的に不可能です。患者の心身に負担をかけるばかりか、最悪命を落とす結果にもつながります。
当時の私はその判断力がなかったため、抗う(逃げる)選択ができずに足を踏み入れてしまいましたが、決して真似しないでください。

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