「月〜金に施設にいて、週末に自宅に戻る息子。今は、この生活を1日でも長く続けられたらと思っています」(撮影:林ひろし/写真提供:すばる舎)

内閣府が発表した「高齢社会白書(令和3年版)」によると、65歳以上の者のいる世帯は日本の全世帯の49.4%。そのうち夫婦のみ世帯が一番多く約3割を占め、単独世帯を合わせると約6割が頼れる同居者のいない、高齢者のみの世帯となっています。
北九州の郊外で、夫と障がいを持つ息子の3人で暮らす多良久美子さん。8年前に娘をがんで亡くしています。頼れる子どもや孫はいないけれど、80代になった今、不安もなく毎日が楽しいと語る久美子さん。それでも、息子が4歳の時、麻疹(はしか)により最重度知的障がい者になった当初は、受け入れられずに苦しい毎日を送っていたそうで――。

命だけは助けて下さいと祈り続け

高校を卒業して勤めた会社で出会った夫と、24歳のときに結婚しました。翌年に息子が、さらに2年後に娘が誕生しました。

息子はトイレに貼ったカレンダーで、教えなくても自分で数字を覚えるような賢い子どもでした。感情表現が豊かで優しい性格でした。

麻疹にかかったのは、幼稚園に通い出す直前の、入園準備をしていた3月のことでした。近くの病院で「肺炎を起こしかけている」と言われ、すぐに大きな病院に入院しましたが、1日も経たないうちに意識がなくなりました。脳が冒されるスピードはあっという間でした。

それから、2週間ほどは植物状態で、先生から「危険な状態です。もし、助かってもこのままだと思います」と言われました。私は「どんな状態でもいいから、命だけは助けてください」と、ひたすら祈っていました。一方で、「お葬式の準備をしないといけない」とも考えていたので、相当危険な状態でした。

その後、幸いにも意識が戻り、先生からは「奇跡だ」と言われました。やがて体が動くようになり、もしかして元に戻るのかなと期待すら抱きました。でも、知能は失われたまま。入院して4ヵ月ほど経った頃、とうとう先生から「これ以上は回復しないから、退院してください」と宣告されてしまいました。