東京大学資料編纂所・本郷和人先生が分析する武田勝頼「最大の失敗」とはーー(写真提供:Photo AC)
2023年に放映された大河ドラマ『どうする家康』。家康は当時としてはかなりの長寿と言える75歳でこの世を去っています。「家康が一般的な戦国武将のように50歳前後で死んでいたら、日本は大きく変わっていた」と話すのが東京大学史料編纂所・本郷和人先生です。歴史学に“もしも”がないのが常識とは言え「あの時失敗していたら」「失敗していなければ」歴史が大きく変わっていたと思われる事象は多く存在するそう。その意味で「武田勝頼のある失敗」が歴史に与えた影響は絶大だったそうで――。

「境目の城」高天神城

武田勝頼の失敗について考えるなら、高天神城の存在は切っても切り離せません。

この城はもともと徳川が支配する城でしたが、後に武田のものとなりました。そして武田が「長篠の戦い」で大敗を喫した後、徳川家康が攻勢に出て、周辺の城が次々と落とされていくわけですが、勝頼はこの城をなかなか放棄しなかった。

なぜ彼は高天神城にこだわったのか。そこを保持しておくことにどんなメリットがあったのか。城の研究者の人たちに訊いても答えてくれない一方、「境目の城」という概念にその理由があるように感じています。

境目、国境の城。

たとえば高天神城までが武田領、付近の別の城までは徳川領という状況であれば、城の奪い合いが、そのまま領地の拡大に直結することになる。しかも、攻めにくく守りやすい山城であっても、一度落としてしまえば攻守を変え、その城で防衛することができる。