明治大学専門部女子部法科の設立
さて、ここで明治大学専門部女子部について説明しておくことにしましょう。
1929(昭和4)年4月に開校したばかりの明大女子部は、法科と商科との二つの科を持つ三年制の学校でした(なお、これは本科のことで、一ケ年の予科も設けられていました)。
明治大学の学長であった横田秀雄、明治大学法学部教授で弁護士の松本重敏、そして、東京帝国大学の著名な教授で、明治大学法学部の教壇にも立っていた穂積重遠が中心となって創設し、遅れていた女子の高等教育を充実させる意図を持っていました。
1929年4月28日に開かれたその開校式において、横田秀雄は以下のような演説をして、女子部を設けた意義を説明しています。
少し長くなりますが、また少し難しいところもあるかもしれませんが、この時代の様子も明治大学の先駆的な姿勢も両方伝わる挨拶なので、その一部をここに引用しておきましょう。
「明治大学が今回女子部を設けましたる理由は、一言にして申しますれば、時代の趨勢(すうせい)を看取(かんしゅ)してその要求を充たすといふことに外ならないのでありますが、試みにその主なる点を申しますと、女子の為に高等の教育を施しその学識を涵養し、その智見を開発し、女子をして学問上に於てその天分を発揮することを得せしむるが為に、学問の研究に関して均等の機会を與(あた)へるといふことが、我国刻下(こっか)の急務であるということがその一つであります。
それから男尊女卑の旧習を打破し、女子の人格を尊重しその法律上、社会上の地位を改善して之を向上せしむるといふことも現代に於ける要求の一つであります。
女子に高等教育を施すといふことが、即ちこの要求を貫徹するが為の最良の方法であると考へたといふことが、又その一つであります。
又女子は家政を整理し社会に活動する夫を援(たす)けて後顧(こうこ)の憂(うれい)なからしめ、又家庭に於て専ら子女訓育の任に当り、所謂(いわゆる)良妻賢母たるを期すべきは勿論でありますが、是は浅薄なる学識を以てしては到底能(よ)くすることが出来ないのであります。
故に真に良妻たり賢母たるの実を全うするが為にも亦高等の教育が必要である。斯(こ)う考へましたことがその一つであります。
終りに女子が人格に目覚めたる今日に於て、又生存競争が日に月に激甚(げきじん)を加へつつある現代社会に於きましては、女子がその百世の苦楽を男子の手に委(い)し、家庭に籠居(ろうきょ)して安逸(あんいつ)を貪(むさぼ)ることを許されないのであります。
時と場合とに依りましては女子自から社会に活動して自からその運命を開拓し、一身一家の為に尽すといふことがなくてはならぬ。併(しか)し是はどうしても教育の力に俟(ま)たなくてはならぬ。而も高等の教育に依つて初めてこの目的を貫徹することが出来るのであります。之が即ちその一つであります。」