奉公人の待遇
大坂両替店で実際に働く奉公人について説明する。京都呉服店に関しては西坂靖の重厚な研究があるので〈西坂靖『三井越後屋奉公人の研究』(東京大学出版会、2006年)、友部謙一・西坂靖「労働の管理と勤労観――農家と商家」(宮本又郎・粕谷誠編著『講座・日本経営史1 経営史・江戸の経験――1600〜1882』ミネルヴァ書房、2009年)〉、西坂の研究を参考にしながら、大坂両替店の特徴を示しておきたい。
奉公人には、店表(たなおもて)と台所(だいどころ)という二種類の区別があった。店表とは、いわゆる営業部門に相当し、これは手代と子供(丁稚)に区別された。手代は一人前の従業員であり、子供は手代を補助する半人前の従業員だ。
子供は、16〜19歳の元服を経て手代に昇進した。一方、台所とは、炊事などの家事労働や接客以外の単純労働に従事する家事・雑務部門に相当した。平(ひら)の奉公人たちは、住み込みで共同生活を営み、すべて男性から構成されていた。
店表と台所の違いは、業務内容だけにとどまらない。勤務形態と方針も異なった。店表の場合、勤務形態は「手代奉公」と呼ばれた。「手代奉公」は、営業熟練者の養成を目的とし、10年以上の長期雇用を想定したものだ。
これに対し台所の場合、勤務形態は「下男(げなん)奉公」と呼ばれた。「下男奉公」は、早めの給金の取得を目的とし、半年または1年の短期雇用を想定したものだ。以下では、とくに断らない限り、店表の奉公人について解説する。
店表の奉公人は、多くの場合、子供からはじまった。基本的には、大坂および大坂周辺から集められ、入店する年齢は10〜13歳だ。親元から離れた子供たちは、住み込み生活を約5年続けたうえで、元服し、手代に昇進できた。
少年時代から入店し、店内で養育された者のことを子飼(こがい)といった。三井の主眼は、子飼いを一人前にすることにあった。