東京・築地に本店を構える和菓子の老舗、塩瀬総本家。日本の饅頭の元祖とされ、時の為政者たちからも愛されてきました。先代当主の川島英子さんは今年100歳。息子に当主を譲った今も会長を務めながら、講演活動などを続けています。戦中戦後の苦難を経て、英子さんが大切にしてきたこととは (構成:平林理恵 撮影:上田佳代子)
みんなの反対を押し切って
塩瀬の暖簾が英子さんに託されたのは80年、55歳のときだ。それは「まったく予想していなかった展開」だったという。
――私は忙しい商売人の家ではなく、サラリーマンの奧さんになりたかったの。だから年頃になると、さっさとお嫁に出ちゃった。自分が塩瀬を継ぐ可能性はまったく考えていませんでした。
ところが、元気いっぱいだった母がある日突然倒れて入院してしまい、容体は悪化。そんな母が、「遺言を残したいから、弁護士と会計士を病院に連れてきて」と言い出したのです。そして、その立ち会いのもとで、「店のすべての権利を英子に渡す」と言われました。
もちろん驚きましたよ。でも、不思議なくらい迷いはなかった。妹もすでに家を出ているし、長女の私がやるしかない。父と母が守り抜いてきたこの暖簾を私が継ごうと、その場で心は決まりました。
大変だったのは私の夫です。母は私の隣にいた夫の手を取り、「英子を頼みます。どうか一緒に塩瀬を継いでやってください」と繰り返し、その手を離さなかった。あのとき、私と塩瀬総本家を引き受けてくれた夫には感謝のしようもありません。
こうして私は34代目の当主となり、夫は会社を辞め、それまでの経験を生かして経理や社内組織の刷新に腕を振るってくれることになったのです。