「落ち込んだのはほんの一瞬です。『なってしまったものは、しょうがない』と、すぐに気持ちを切り替えました」(撮影:須藤敬一)
がんという大きな敵と幾度も対峙し、打ち克ってきた仁科亜季子さん。人生を悲観することなく、「私は幸せながん患者だった」と語る彼女のたくましさの秘密とは(構成=内山靖子 撮影=須藤敬一)

幼い子どもたちを置いて逝けない

これまでの人生で、4回がんになりました。初めてがんが見つかったのは、子育て真っ最中だった38歳のとき。子宮頸がんと診断されて、子宮、卵巣、卵管を全摘し、再発を防ぐためにリンパ節の疑わしいところも取り除きました。

その後、46歳のときにジスト(消化管間質腫瘍)という稀少がんが胃にできて、胃の3分の1と脾臓を摘出。さらに55歳のときに、小腸と盲腸にがんが見つかり、61歳のときには大腸がんと診断されて、腸を20cmほど切りました。

振り返ってみると、初めてがんになって以来、7~8年に1度はがんになっている計算ですが、一番動揺したのはやはり最初の子宮頸がんのときでした。ショックを受けたというより、「なぜ、私なの?」という思いがこみ上げてきて。

当時、がんは命にかかわる怖い病気と思われていましたし、私の両親もきょうだいも、がんになった人は誰もいないのに、「どうして自分だけ?」って。

とはいえ、落ち込んだのはほんの一瞬です。「なってしまったものは、しょうがない」と、すぐに気持ちを切り替えました。もともと、楽天的な性格ということもありますし、何より当時は、息子の克基が8歳、娘の仁美が6歳と幼かったので、「この子たちを残して逝けない!」と、生き延びるためにどんな治療も受け入れる覚悟が決まったのだと思います。

子どもたちが待っている家に一刻も早く帰りたい一心でつらい治療に立ち向かい、当初は「入院6ヵ月の予定」だったのが、それより1ヵ月近くも早く退院することができました。