戦前期の橋の記号

そんなわけで日本の地形図でも、かつては橋の記号にもいろいろな種類があり、陸軍の歩兵部隊や軍用車両が通過できるかどうかを判断する重要な情報を提供していたのである。戦前の地形図図式を見ればそれが窺える。

戦前期を代表する大正6年図式に掲載されている橋の記号は、(1)かん工橋(かんは、つちへんに完)、(2)鉄橋、(3)木橋、(4)鉄脚又はかん工脚を有する木橋、(5)仮橋、(6)脆弱なる橋、(7)舟橋、(8)徒橋という8種類に分かれていた。

(1)のかん工橋はコンクリート造または石造、煉瓦橋、(4)は橋脚のみが鉄またはコンクリートなどでできた橋である。

(5)の仮橋は冬期間のみ架けられる簡単な構造の木橋など、(7)の舟橋は最近では見かけないが、舟を並べた上に板を渡して人や荷車などが通れるようにしたもの、(8)は歩行者専用の橋である。

(6)の「脆弱なる橋」については、大正4年(1915)再版の『地形図之読方』によれば、「構造不良若クハ破損シテ重量ノ荷担ニ堪ヘス、積量多キ荷車ヲ安全ニ通過セシムヘカラサルモノヲ謂フ」とあって、橋に希少価値があった時代を思わせる。

「空の荷車や徒歩なら大丈夫でしょうけど、その重さではちょっと……」といったニュアンスだろうか。今なら間違いなく通行止めだろう。

ついでながら同書にある「徒橋」の説明も時代がかっていて、「独木橋或ハ一二(いちに)個ノ長板ヲ束ネテ成ル短橋、若クハ小架柱橋ノ類ニシテ単独者、若クハ僅ニ駄獣ヲ通スルモノヲ謂フ」だそうだ。

丸木橋や板を渡しただけの簡単なものを連想するが、駄獣というのは荷物を運ぶ家畜のことである。