「終わり方」を手にとって置いてみる
黒井 老いの時間をどう過ごすか。樋口さんの本をはじめ、ノウハウや指針となる本がたくさん出ていますね。僕は、これからは、「老いの終わり方」についてもっと語られる必要があるのではないかと思うようになりました。高齢になって生き続ける意味や、終わりを迎えることをいかに前向きに考えるか。
従来のように、宗教や信仰の問題として考えるのではなく、「終わり」を手にとって机の上に置いてみるとでも言えばいいのか……。誰にも等しく訪れる絶対的な「死」と、絶対的な「生」の均衡から生まれてくる新しい考え方も必要でしょう。それを生み出すのはとても難しいけれど、やるに値する仕事だと感じています。
樋口 「老い」や「死」は誰にでも平等であり、かつ個性的なものだとつくづく思います。100歳まで元気に生きたいと思っても、それぞれ元気の程度が違いますし。
黒井 事実、転倒したり、勘違いしたりと、老いにはみっともないところもたくさんある。でも、自分がちょこちょこ積み重ねる失敗は、なにか重大な危機を防いでくれているのかもしれない――などと負け惜しみの一つも言いたいところです(笑)。
そういう自分も認めないと、「老い」が面白みのない、ただの乾いた時間になってしまうから。やはり人生を俯瞰すると、他人は他人、自分は自分であって、人は自分にふさわしい老い方をするよりほかにないと思うのです。