丸ごと受け入れてほしかったのに――

母と衝突することが多かったのは、ひとつには私が「役者になる」と言い張ったからです。私が5歳の頃から、父が、自身の創設したJAC(ジャパンアクションクラブ)でミュージカルを上演していて。真田広之さんや志穂美悦子さんが出演する作品に、子役として出ないかと声をかけてくれたのです。

私はやりたいと言ったのですが、母からは反対されました。というのも、通っていた幼稚園では芸能活動が禁止されていたから。その舞台を客席から観た私は、出られなかったことが悔しくて悔しくて、泣きながら「絶対に俳優になる」とその時心に決めました。

芸能活動をするには転校するしかありませんが、母はその学園を辞めることを頑として認めてくれません。そのことでのケンカはしばらく続いたのですが、私が決してあきらめないので、これは本気だと思ったようです。日大芸術学部の演劇学科に進み、俳優としてデビューしてからは、応援してくれるようになりました。

仕事の準備やお芝居のことに関しては、純粋に俳優の先輩として相談に乗ってもらったんです。ただ、本当は愚痴を聞いてもらったり、弱音を吐いたりしたかった。

でも母は強い人だったので、弱い部分を見せることを許さず、「ネガティブなことを言っている間に、できることがあるでしょう」と、厳しく突き放すのです。

そんなこと、私だってわかっています。私はただ話を聞いて「わかるよ、よしよし」ってしてほしいだけ。そうしてくれたら「よし、頑張ろう」と思えるのに、葛藤する気持ちを母から否定された気がして――もう、母に何を話しても仕方がないと思うようになりました。私のほうから、心にシャッターを下ろしてしまったのです。

後編につづく