50歳を過ぎたなら
少し話がそれますが、スマホの中のSNSやブログには、素敵な人生を過ごしている人がこれでもか、これでもか、と表示されますよね?『婦人公論』の記事にも、シニアになっても毎日をイキイキと元気に美しく前向きに過ごしている人が大勢登場する(笑)。
そうした記事を読めば読むほど、劣等感に苛まれたり、焦燥感にかられてしまうのも事実です。「自分と同じ年齢なのに、この人はこんなに若くてきれい」「自分より若いのに、この人はこんなに活躍している。それに比べて私はなんてダメなのか…」と落ち込んでしまう人も少なくないでしょう。
ハーバード大学の教授・アーサー・C・ブルックスが書いた『人生後半の戦略書』という本があります。ざっくり言えば、人はある程度まで生きて来たら、自分に等身大以上の理想や目的を課したりはせず、自分のキャパを受け止めて幸せに生きていきましょう、というような内容になっています。
我々は教育の過程で「生まれてきたからにはこの世に役立つ存在になれ」だの「社会の成功者になれ」といった、存在の意味みたいなものを課せられますよね。なので、それを全うできている自覚がないと、もう自分はダメなんだ、自分なんてどうせ、と自己否定に陥る。
こんなことは他の動物では起こり得ないわけです。同じ社会性の生き物でもミツバチや羊が「俺はもっと偉くなるはずだった」なんて落ち込むことはありません。そこが人間という生き物の厄介なところです。
人生の折り返し地点を過ぎたなら、自分は成功者になりたい、などという執着に囚われるのはやめるべきです。
太陽の光を浴びて、新鮮な空気を吸って、きれいな花を愛でて、日々の食事を楽しみ、この地球が与えてくれた恩恵をしみじみ味わう。理想や目的にしがみつき続けるのはやめて、もっとシンプルに命を謳歌したらいいのだと思います。
そういった意味でも、旅は自分の意識をとてもシンプルにしてくれます。自分を知らない人のいる場所では自分の等身大を実感することができるからでしょう。
人間付き合いもそれと同じく、50歳を過ぎたら、過度なメンテナンスを要さなくても、なんとなく付き合える人と仲良くしていけばいいと思います。上底の靴ではなく、裸足でも付き合える人がひとりでもいたら、もうそれでいいなと思います。