ツバメの吉兆

2時46分。黙祷する。

「あっ、ゲンタローだ」と家人の声。

(写真提供:Photo AC)

「そうそう、昨日も机を横切ってたよ」

ゲンタローとはまだ子供の蜘蛛(くも)の名前だ。勿論、何代目かである。東京の常宿のホテルにも夜半あらわれて、大胆に原稿用紙の上を這ったりする(どうも私は虫がつくらしい)。

家の中に生きものが棲みつくのは吉兆であると母から教わった。

生家では桜が散りはじめた頃、台湾などの南の国からツバメが帰って来る。そうして前年、彼等が生まれ育った軒下や、納戸の庇(ひさし)に巣作りをはじめる。

「あら、今年も帰って来たのね。無事に仔作りをするのよ」と軒を見上げる母の隣りで6人の子供が声を上げていた。

何度も母から手紙を貰うことはなかったが、この季節、ツバメが家に帰って来ると必ず母はそのことを書いてよこした。吉兆が子供のためにあって欲しいと願っていたのではと気付いたのは、大人になってからだ。