人々の記憶

人間は同じ立場、年齢にならないと、その人がどんな思いで、そうしてくれていたのかに気付かない。特に自分の親はそうだ。

私は銀座でクラブ活動する折、隣りについたお嬢さん(オバサンもいるが)が何かの話で親に仕送りをしていると聞くと、容姿は関係なしに「次に来た時も隣りに座ってネ」と言う。或る時期、私の周りが親孝行のホステスだらけになってしまった。銀座にそんなに親孝行のホステスがいるとは思えないのだが……。

人は嫌なことは忘れるように脳ができている。当たり前だ。そうでなければ毎晩うなされることになる。東日本大震災から時が経ち、人々の記憶は薄れる。

忘れてはならないとテレビ、新聞は特集を組む。それを見たり読んだりした折は、そうだ、忘れてはならないと思うが、数日すると忘れてしまう。それが人間というものだ。そうだから生きて行けるのである。

※本稿は、『またどこかで 大人の流儀12』(講談社)の一部を再編集したものです。

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