「心あっての型」を息子に伝えたい
八代目菊五郎になってからの抱負をお聞かせくださいますか。
――初代さんは京都に生まれて江戸に出てきて、三代目さんが鶴屋南北と組んで文化・文政期に大活躍して、五代目さんが明治期に音羽屋の芸をほぼ確立したんですね。
六代目が歌舞伎の舞踊というジャンルを確立して、祖父梅幸が女方の芸、父七代目が主として世話物で、先人たちが音羽屋菊五郎の幹を太くしていったわけですから、私に今何ができるのかということを模索しているところです。
また音羽屋には「新古演劇十種」というものがあり、中に上演されないで絶えてしまってるものがあるので、その復活と、また新作歌舞伎も作っていきたいと思っています。