人生の隙間に入ったスプリング
お次は「日本のロケット開発の父」とも言われる工学者・糸川英夫先生。
還暦を過ぎてバレエ団の門戸を叩いた顚末を、彼のバレエの師匠・貝谷八百子さんとの対談の中で明かしました。
〈身体を動かすことと、音楽が好きだということが、今、自然にバレエに結びついたんだと思います〉(「六十の手習い」76年2月号)
ドラマティック・バレエを広めた貝谷さんは、著名な糸川先生に対しても、
〈基礎は基礎ですから、どんなに偉くても、どんなにアホでも、やることはやっていただかなきゃならない〉
と容赦がない。糸川先生も
〈足がはじめは六〇度ぐらいしか上がらなかったけど、このごろ九〇度になった。あと九〇度上げるつもりなんです〉
と研究熱心です。ついには『ロミオとジュリエット』のモンターギュ家の父親役として、帝劇の舞台に立ったとか。糸川先生はバレエの副産物について、次のように語っています。
〈今は生きる張合いになっていますね。(略)人生の(略)隙間だったところに、そこにスプリング〔ばね〕が入って、とても調子よく動くようになったから、本職の仕事のほうで少々の問題がおこっても、へこたれない、頑張りが利くようになった〉