人生全体を輝かせてくれるもの

僕の妻の父はクリスチャンでした。肝臓がんの末期で亡くなるとき、「讃美歌を歌いたい」と言い出しました。病院のドクターや看護師さんのなかでクリスチャンの人たちに声をかけて、集まってもらいました。

彼が歌いたかった歌は「また逢う日まで」。

歌が大好きでした。家族みんなでお酒を飲むと、いつも「奥様お手をどうぞ」を歌っていました。最期は「また逢うその日まで」と、朗々と大きな声で歌い、息を引き取りました。

愛読していた『チベット死者の書』を、知り合いの住職に、耳元で小さな声で朗読してもらいながら、まるで死の瞑想をするように亡くなっていった若い女性もいました。

末期の胃がんになって、両肺に転移しても、死ぬことをくよくよ考えずに、〝誰かのために〞生きようとしていたら、すぐそこにあった「死」が奇跡的に消えてしまった人もいました。

人間は必ず死ぬ存在という覚悟が大事なのだと思います。

「あの世なんてなくていい。この世だけで終わってしまっていい」と思っていたのに、親友を亡くしたあと、「いつか、あの世でまた会いたいな」と僕は思うようになりました。

自分らしい人生を送れば、上手な人生のしまい方ができる。それが人生全体を輝かせてくれるものと信じています。

※本稿は、『うまいように死ぬ』(扶桑社)の一部を再編集したものです。


うまいように死ぬ』(著:鎌田實/扶桑社)

うまいこと生きれば、ちょうどいい死に方ができる!

77歳のいまも医師として、多くの患者に接することの多いカマタ先生。そんなカマタ先生がいままで出会った人々や自身の体験をもとにまるごと一冊、死の話にこだわって文章をつづりました。

人間は下り坂でこそ上手な人生のギアチェンジができる。
年をとってくると〝忘却力〞というパワーが全開。
上手に利用すると、「ちょうどいい忘却」の状態が起きる。

すると若い頃にはできなかった「ちょうどいいわがまま」や「ちょうどいい堕落」ができ、その延長線上に「ちょうどいい死に方」が待っている。そして、おひとりさまでもうまいように死ぬことができる。