この嫉妬は理想の裏返し

もしあの頃、本気で勉強していたら、私は本当に希望の大学へ行けていたんだろうか? 合格していたらどれほど嬉しく、不合格だったらどれほど悔しかっただろう。通訳や翻訳家になる夢は叶えられたのだろうか。

大学だけが学びの場ではない。語学の道に未練があるのなら、独学でも語学教室でも他に外国語を学ぶ手立てはいくらでもある。それなのに挑戦もせず学歴コンプレックスだけを温め続けているのはなぜだろうか? 
もしかしたら私は理想の人生を歩めなかったことを家族のせいにできて、心のどこかでホッとしているのかもしれない。

逃げたわけではないはずなのに、逃げて生きてきたような負い目がずっとある。毎年、ニュースで大学入学共通テストの様子を見ると心がチクっと痛む。

自分は土俵に上がらず「人を学歴で判断するな」と言いながら、私が一番、人を学歴で判断し嫉妬や劣等感を感じているのだ。

やはり私は卑怯でちっぽけな人間だ。

このどうしようもない嫉妬は、きっと私が「そうありたかった」という理想の裏返しだ。しかしこの渇望こそが、今、主婦でありながら文章を書き続けている原動力なのかもしれない。

学歴という過去の土俵には上がれなかったけれど、今の私が立つべき土俵はここにある。このコンプレックスをエンジンにして、私は今、あの頃以上の熱量で言葉を紡いでいる。この土俵からは逃げたくない。

今度こそラベルじゃなくて、中身を誇れる自分になりたい。その中身を私は今からでも作っていけるはずだ。

子どもたちにもどうか自分の中身に自信のある人間になってもらいたい。なおかつ、なるべく立派なラベルが付いてくれたら、いうことはない。

……あれ、また言っている。

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著者・斉藤ナミさんと婦人公論.jp池松潤が日常に潜む「学歴の嫉妬」を徹底解剖。世界史を動かした嫉妬の正体や、AIに感情を教える「嫉妬AI辞書」まで語り尽くしました。
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