(写真提供:Photo AC)
「他人の顔色ばかりうかがって自分を後回しにしてしまう」「いつも不安でどこか落ち着かない」といった悩みを抱える方もいらっしゃるのではないでしょうか。このような「生きづらさ」について、精神科医Tomy先生は「これらのテーマの根幹には『愛』の問題が必ずあります。もし、『愛』の答えを出せたのなら、全ての悩みを軽くすることができるはずです」と語ります。そこで今回は、精神科医Tomy先生が「愛」に溢れた人生を送る方法をまとめた著書『愛の処方箋』から一部を抜粋してお届けします。

パートナーへの愛の処方箋

他者への愛と一言で言っても、「他者」には様々な存在があります。

根本の「愛」としての考え方は同じですが、「他者」の種類によって対応方法が変わってきます。まず最初に、パートナーに対する愛について考えていきましょう。

実はパートナーに対する「愛」の考え方が最もわかりやすいと思います。なぜなら「パートナー」は、もともとは赤の他人だからです。赤の他人と結びつく理由が「愛」なのですから、余計な要素を考えなくても良いのです。他者への愛の基本と言っても良いかもしれません。

ケース1
パートナーがいても、ついつい浮気がやめられない。もちろん、それがばれて上手くいかなくなったこともたびたびある。自分はパートナーを愛しているつもりなのに、なぜなのでしょうか?

浮気という問題は、普遍的に存在しています。いつになっても尽きることのない問題です。

また、「浮気」という問題は、常に人々の関心を惹きつけます。強く非難され、炎上する理由でもありながら、「浮気」をテーマにした小説や映画、ニュースは人気コンテンツです。浮気は倫理的に許されないと思いつつ、多くの人が興味を持ってしまう。そういう性質があります。なぜ、こういった状況になっているのかは、実はそこにある問題は「自己愛」だからです。

つまり本当の問題は、パートナーや浮気相手にあるのではありません。浮気をする本人が健全な自己愛を得られていないことが問題なのです。もし、自分をありのままに受け止めているのなら、浮気という概念は存在しないのです。なぜなら浮気をするぐらいなら、パートナーを作る必要がないからです。

特定のパートナーがいないのなら、「浮気」にはなりません。誰かを傷つける必要もありません。浮気が発覚して、社会的に非難される可能性もありません。わざわざパートナーを作って浮気をするというのはリスクも高く、無駄なエネルギーも必要になり、実に非合理的な行為です。

それなのに、なぜその非合理的な選択をしてしまうのか。自分のありのままの気持ちに気づいていないからです。浮気をする人がパートナーに抱いているのは愛ではありません。「愛もどき」です。相手の存在や「決まったパートナーがいる」という状況に対する執着です。

もし、相手が浮気を許してしまったとしたら、そしてそれが相手の本意ではなかったとしたら、相手と対等な関係にはなりません。つまりそこには本当の愛はないということになります。どんな形にせよ、健全な自己愛があれば浮気などする必要がないのです。

つまり浮気をしてしまう人は相手を「愛しているつもり」であって「愛」ではないのです。「愛もどき」なのです。そこから抜け出すには、まず「自己愛不全」を解決することです。

どうしても浮気がやめられないのなら、パートナーと向き合って一旦離れることが必要でしょう。あるいは、自分がパートナーのことをちゃんと愛していると思ったのなら、浮気をやめる。

この二つしかないのです。