様々な人が住み、その痕跡が蓄積する場としての「家」
ところが、最新作である『呪怨:呪いの家』には、シリーズの「顔」であり続けた伽椰子・俊雄親子の怨霊は登場しない。「『呪怨』の『呪いの家』は実在した」という前置きから始まる『呪いの家』は、1952年から1997年まで、実に45年間の長きにわたって「呪いの家」で繰り返されてきた忌まわしい事件の歴史を明らかにしていく。
映画研究者の宮本法明は、『呪怨』シリーズにおいて「妊娠」というテーマが繰り返し登場することを指摘したうえで、彼が「Jホラーの究極形ともいえる傑作」と位置付ける『呪いの家』では、オリジナルビデオ版第二作〔2000年、監督:清水崇〕においてはさりげなく描かれていた「殺した妊婦の遺体から胎児を取り出す」という行為が、「大々的にリブート」されて描かれたことに注目する(※1)。
宮本のみならず、Jホラーを特集した2022年9月号の『ユリイカ』では、『呪いの家』を取り上げた木下千花(※2)、橋迫瑞穂(※3)の両者も、この作品を「妊娠」、「妊婦」、「出産」というキーワードで分析している。Jホラーにおいて、「女性」の存在感が圧倒的であることは言うまでもなく、彼女たちの「産む性」としての側面が「呪い」の連鎖と分かちがたくむすびついた『呪いの家』の「呪い」観はあまりにもミソジニー的であると批判する声もあった。
だが、『呪いの家』で描かれた「孕むこと」「産むこと」と不可分の「呪い」が、「呪いの家」という特定の一軒家に蓄積し、この家を起点に連鎖していったことも見落としてはならない。なぜなら、この作品のタイトルは、怨霊的に登場する「白い女」でも「黒い女」でもなく(『呪怨』シリーズには、すでに『白い老女』『黒い少女』が存在している)、『呪怨:呪いの家』だからだ。様々な人が住み、その痕跡が蓄積する場としての「家」こそ、『呪怨』シリーズの真の主人公なのである。
※1…宮本法明(2022)「生まれることは呪われること Jホラーの妊娠をめぐる表象」(『ユリイカ』第54巻第11号、青土社、66頁)
※2…木下千花(2022)「母娘と「うつす」こと 高橋洋の映画世界における女性性の考察」(『ユリイカ』第54巻第11号、青土社、57─62頁)
※3…橋迫瑞穂(2022)「「災厄」としての妊娠・出産 ドラマ『呪怨 呪いの家』におけるジェンダー」(『ユリイカ』第54巻第11号、青土社、136頁─143頁)
※本稿は、『Jホラーの核心: 女性、フェイク、呪いのビデオ』(早川書房)の一部を再編集したものです。
『Jホラーの核心: 女性、フェイク、呪いのビデオ』(著:鈴木潤/早川書房)
なぜ幽霊は「髪の長い女性」なのか、なぜ「ビデオ」が呪いを伝播させるのか。
『リング』『呪怨』ほか黎明期の名作から『変な家』『近畿地方のある場所について』に至るまで、気鋭の映画研究者がジェンダー/メディアの観点でJホラーの本質を緻密に分析する。




