一階はどうなっている?

何も言えず、彼は黙って蓋を閉じた。しばらくして落ち着くと、ふと疑問が湧いた。あれだけ深い穴なら、真下にある一階の部屋はどうなっているのだろう。

「恐れ入りますが、一階も見せていただけますか? 構造を確認したいので」

依頼主は快く頷いた。

一階に下りると、彼は二階の床下収納の位置を頭の中で計算し、該当する部屋の前に立った。古い襖が静かに閉まっている。

襖を開けると、四畳半の小さな和室が現れた。床の間には季節の花が生けられ、違い棚には茶道具が整然と並んでいる。畳は丁寧に手入れされ、障子から差し込む光が穏やかに室内を照らしていた。

今度は天井を見上げた。何の変哲もない、普通の天井だった。染み一つない白い板張りで、あれだけ深い穴が上にあるなど、全く感じさせない。

そのとき、背後から依頼主の声がした。

「あら、茶室なんて珍しい」

彼は、はっと振り返った。彼女は相変わらず穏やかな笑顔を浮かべてそこに立っている。

自分の家の茶室を見て、珍しい、と無邪気に発したのだ。

その異常さが、あの地下のような奈落で目撃した何か以上に、彼の背筋を凍らせた。

この人は、明らかに何かがおかしい。

「ありがとうございました、失礼します」

彼は慌てて道具をまとめ、玄関へ向かった。支払いのことなど頭から消えていた。ただ、この家から一刻も早く出たかった。

玄関に向かう背中に、依頼主の声が追いかけてきた。

「もうお帰りですか?」

その声は、友人を見送るときのような、ごく自然で穏やかなものだった。

彼は振り返ることなく、はい、ありがとうございました、とだけ答えて玄関の扉を開けた。

外に出た瞬間、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。春の陽射しが頬を温め、鳥のさえずりが聞こえる。ごく普通の住宅街の午後だった。

しかし、足早に車へ向かいながらも、背中にまだ視線を感じていた。振り返ってはいけない、そんな気がした。

車に乗り込み、エンジンを掛ける。手が微かに震えているのに気づいた。

車を発進させようとしたとき、ふとルームミラーに目をやった。

何かが映っている。振り返ると、依頼主が玄関先に立って、こちらに向かって手を振っていた。

それは、親戚を見送るときのような、心からの笑顔で、ごく自然に。

その普通過ぎる光景が、今の彼には最も恐ろしいものに映った。床下に居た得体の知れない何かについて、彼女は本当に何も知らないのだろうか。それとも――。

車を急発進させ、住宅街を抜けた。ルームミラーには、もう何も映っていなかった。