介護ストレスでハマった「女遊び」

Mさんはもともと、高専を卒業後にIT系の会社を6社ほど渡り歩き、開発や営業などに携わってきたという。介護離職と熟年離婚をして住み慣れた関東を離れ、実家の神戸に帰ってきたのが10年前。自己都合のため退職金はなし。別れた妻に、家と貯金の多くは引き渡した。

「介護は大変でしたよ。父はパーキンソン病で体が徐々に不自由になり、母は認知症と糖尿病が出て、シモの世話もしなければならず、自分は精神的に参ってしまい、怒りたくないのに、母を怒鳴り散らすこともありました」

『ルポ 過労シニア 「高齢労働者」はなぜ激増したのか』(著:若月澪子/朝日新聞出版)

当時は朝だけ宅配便の配送センターで仕分け作業のパートをはじめ、あとは両親の年金で暮らしていた。介護生活は息の詰まる毎日だったという。

「年寄りの会話はちぐはぐになることが多く、人間と話している気がしないんです。小さな子どもか動物と一緒にいるような気分で孤独でした。そのくせ親は、『あれをやれ』『おまえはバカだ』など自己主張が激しいので、私はイライラしてばかりで」

Mさんには兄がいるが、介護はMさんが一手に引き受けていた。Mさんは介護を担当している手前、親の年金や貯金を勝手に使うことにためらいがなくなっていったという。

「父親の年金は月に30万円はありました。面倒を見ているのは自分だし、父と母の年金も貯金も自由に使っちゃおうと」

Mさんは両親の介護をする一方で、夜の街に繰り出すようになったのである。

「父や母がデイサービスやショートステイを利用している最中、セクキャバやスナックに行くようになった。それまで夜の街で遊んだ経験はなかったのですが、激しめの遊びにハマってしまい」

セクキャバの女の子と同伴で食事、同伴出勤、締めはスナックでカラオケ。最初は週に1回程度だったが、徐々に回数が増えていった。