祖父は日米の架け橋

アメリカに帰った祖父は、反日感情が高まっていたアメリカで、一九〇五年に日本を紹介する「ジャパン・ソサエティー」(現在の北カリフォルニア・ジャパン・ソサエティー)を、アメリカの名門スタンフォード大学の初代学長を務めたデビット・スター・ジョーダン氏らと作っています。私も祖父の縁で、講演をしたことがあるの。

祖父は屋敷に、日本風の門を造って、素敵な日本庭園も残しています。そこに、渋沢栄一さんらの訪米団を迎えた時の写真が残っています。一行の中には、日本のアンデルセンと呼ばれた童話作家、巖谷小波(さざなみ)も参加していました。尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の貫一のモデルとされる人。祖父は一行を歓待し、講演会を開いたりして、日米の橋渡し役を務めていたようです。

祖父が再び日本にやってきたのは、父が小学一年生の頃。二年ほど滞在し、父に英語やフランス語の手ほどきをし、父の弟の武雄が生まれました。

次の来日は、父が大学に入る頃。詩を書いていた父に「お金のことは心配しなくていいから、好きなことを勉強して生きていくように」と言い、朝寝坊をしていると、目覚まし時計代わりにバイオリンでシューベルトを弾いて父を起こしに来たそうです。そのバイオリンも、名器ストラディバリウスだったと聞きましたが、祖父が亡くなった後に誰かに持っていかれちゃったそうです。

祖父は母国の財産を整理しに一度アメリカに戻り、それが父との最後の別れになりました。父によると、反日感情を和らげようと演説していた最中に倒れ、一九二〇(大正九)年十二月に急死します。

その晩、祖父が置いていったケースの中のバイオリンがブーンと鳴ったと、父と武雄おじさんが話していました。そんな不思議な体験も、父が後に超常現象に関心を持つきっかけになったのかもしれません。