本場仕込みの洋食の普及に祖父も一役
祖父は、日本での洋食の普及にも一役買っています。
祖父が一九〇八(明治四十一)年にアメリカに戻る時に、平野家と家族ぐるみの付き合いがあった京都の家の青年で、十九歳の山本豊次郎さんを一緒に連れて行くのです。祖父は息子と旅するがごとく世界各地を一緒に回ります。十一月に横浜を出航して、香港、インド、エジプト、ヨーロッパ。豊次郎さんの日記が残っていて、旅の様子を見せてもらったことがあります。
カリフォルニアのサンマテオにある祖父の屋敷には、客人も多く、料理人もいて、豊次郎さんもその中で働いていたそうです。十一年ほどをアメリカで過ごし、そこで覚えた味を京都に開いた自身の店「丸太町東洋亭」で披露したのです。
<豊次郎氏は、当時のホワイトハウスの料理本を日本に持ち帰ってきた。本場仕込みの味を求める海外客、学者や文士が集まる店はサロンのようだったという。店の屋上にブドウ棚を作り、近郊の菜園で野菜を栽培するなど独自のホスピタリティーで客をもてなして評判になった。豊次郎氏は、アメリカと戦争に入る前の一九四一(昭和十六)年四月に急死。店を受け継ぐ孫の山本福枝さんは、今も店にブイ氏ゆかりの品などを飾っている>