ドライに詠まれた性

岡崎裕美子さまは歌集『発芽』でデビュー。恋愛、特に性愛を詠んだ歌で注目を浴びました。

したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ       『発芽

これは言うまでもなく、冒頭に「セックスを」と書くところをあえて書いておりません。それによって「する」「した」とより即物的に性行為を示すことになり、ドライさが漂いますと同時に少しの自虐性も漂っていることが感じられるでしょう。
 

おそらく、この主体は「だるい」体を労っていない。まるで撤去予告の赤紙が揺れている自転車のように、儚く、取り替えの利くものとして自身の体を見ている気配すら感じます。

こじあけてみたらからっぽだったわれ 飛び散らないから轢いちゃえよ電車 『発芽

高そうな花がぼとぼとこぼれいる わかいおんなというひとくくり     『発芽

第一歌集『発芽』にはこのような、若い心と体が消費されていく様子が描かれます。
また恋の相手も無記名性があり、具体的な恋人のイメージが浮かびません。男は皆同じ、と言ったら大袈裟でしょうが、そのくらいドライな性がここでは描かれます。
自身の精神や身体を「こじあけてみたらからっぽ」と表現する、さらには「轢いちゃえよ電車」には自虐的とも自傷的とも言える言葉が連呼され、賞賛され消費される「わかいおんな」の自意識がのぞきます。

なぜ女性は、女性としてみずみずしく華やかな美しい季節を、誰かのために消費させてしまうんでしょう。
「高そうな花」の歌も同じく、「ぼとぼと」こぼれることに悲惨さが漂います。
「高そうな花」は言うなれば「わかいおんな」の象徴。でもそれがこぼれてしまうのは、社会が「わかいおんな」と女性のことをひとくくりにして、一人ひとりの個人性を見ないからではないか、そんなことをうかがわせます。
高そうなのにぼとぼとこぼれる花は、社会からわかい女性へ加えられる圧力とも加害とも呼べそうなものです。