真野響子さん(左)と、眞野あずささん(右)(撮影:川上尚見)
2019年4月に母を亡くした真野響子さん、眞野あずささん姉妹。それぞれ女優として活躍しながら、家族で毎日分担を決め、母の世話をしていたといいます。本日の『徹子の部屋』の総集編「家族の絆『きょうだい』編」に登場したお二人。通院から自宅介護と実家通いまで、過酷な日々もあったと笑顔で語りあった、5年前の対談を再配信します。(構成=山田真理 撮影=川上尚見)

母は自力で食べることもできなくなっていた

響子 「介護は突然始まる」というけれど、まさにそうだったわね。13年前に父が亡くなってから、母は実家で弟とその娘と3人暮らし。80歳をすぎても家事のほとんどをこなし、リュックを背負って散歩するのが日課の、元気な人だったんだから。

あずさ 持病の検査で月に1度の通院につきそうのは、私たち姉妹の役目。それが5年前のある日、電話で話していると様子がおかしいので、私が診察の予定より早く病院に連れて行ったの。血圧が高く、画像検査で「脳梗塞を起こしている」と説明を受け、そのまま入院することになったのだけれど。

響子 信頼する主治医のいる病院だったのに、これが……。

あずさ 脳梗塞の治療のため、点滴を受けたまま病室を出られず10日間。次第に母は意識がもうろうとしてきて、どこにいるかもわからなくなってしまい、薬が増やされる。

響子 そのうち左半身がマヒしてきて、どんどん症状が重くなっていき、私たちも「おかしい」と思い始めたわ。

あずさ 10日目の夕方、医師に「緊急手術が必要だ。信頼できる病院を手配してあるので、すぐ決めてくれ。難しい手術になる」と言われて。手術を受け入れなければ退院せねばならず、きょうだい3人で相談した。手術はしないと決めて翌日、母を病院から一番近い私の自宅に連れて帰ることに。母は自力で歩くことも食べることもできなくなっていたわ。

響子 あのとき連れて帰ると決断したからこそ、この5年間、母との思い出を重ねることができたわね。だけど、介護のイロハも知らないのに、無謀だったかしら、私たち。(笑)

あずさ 布団から落ちてしまった母を、どうやって戻したらいいかもわからなかった。下手に動かして骨折させたらと、おろおろするばかり。

響子 介護関係のパンフレットを見て、私が行政の相談窓口に電話をしたのよね。そうしたら親切に「シーツに乗せて、ずらすように戻せばいいですよ」と教えてくれた。介護にたずさわる人たちの温かさ、優秀さに触れて感激したのはそれが最初。