最後の大移動のためのトレーニング

その大移動が人生の最後に用意されているとしたら、人間は誰でも大きな自由を手にすることができると考えることもできます。死が自由というのではありません。大きな移動の自由が残されているということです。

生きている間の移動、旅も外食も人と会うこともすべて、最後の大移動のためのトレーニングと考えることはできないでしょうか。

移動を面倒がり、「何かあったらどうしよう」とか「無理したら身体に障る」「食べ慣れたものが安心」と家に閉じこもるのは、長生きに執着しているだけかもしれません。

それによって感情の老化が進めば、たとえ長く生きることができても喜びのない老いを過ごすだけになります。

トレーニング不足のまま老いていくのは、死を恐れるだけの毎日になります。

それくらいならむしろ、小さな移動を繰り返して自由を楽しんだほうが、最後の大移動を楽しみに待てそうな気がします。

「まだひとつ、大きな旅行が残っていたな」と気がつけば、「死ぬのも楽しみ」という境地が生まれてくるような気がします。

※本稿は、『死ぬのも楽しみ 「いい人生だった」と最期に思うために必要なこと』(廣済堂出版)の一部を再編集したものです。

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死ぬのも楽しみ 「いい人生だった」と最期に思うために必要なこと 』(著:和田秀樹/廣済堂出版)

「まだ死にたくない」と思えば死はつらいだけ。

死を怖がるより、今を生きることに専心すれば、あなたのこれからの人生は確実に充実します。