思い出のものをいつまで持つか
ひとり時間の充実を考えると、捨てることを避けて通れません。しかし、捨てることには、葛藤が伴うものです。「モノを粗末にしているのではないか」「もったいない」という気持ち。「要らないモノを買ってしまった」「無駄遣いをしてしまった、たぶんストレスからだ」などと自分の不甲斐なさを突きつけられる苦しさもあります。
かといって使わないモノがあり続けることの圧迫感というのも大きい。どこかで「よし」と思い切って、心のギアを1段階上げて、モノ減らしスイッチを入れざるを得ない。捨てれば、葛藤を乗り越えたわけなので、ひとつの自信になるし、実際にスッキリします。
いちばん捨てにくいのは、思い出の品。最近わたしがついに手放したのは、子どもの頃に使っていた洋食器です。ティーカップとソーサーとポット、それとおそろいのお皿とシュガーポットとクリーマーのセットです。60歳のわたしが物心つく頃には家にあったので、五十何年ものの器。親と暮らしていたときの思い出が詰まっています。
ふだん和食でしたが、日曜日の朝だけは洋食でした。洋食といっても昭和の昔なので、トーストを焼いてアヲハタのマーマレードを塗るくらい。リプトンのティーバッグで淹れた薄い色の紅茶に、角砂糖を入れて飲むとか。それがとても特別な感じがしました。日本がまだ今ほど贅沢でなく、わが家もつましかった。そんな食卓の光景とつながっていて、長く捨てられずにいたのです。
でも改めて見ると、使い込んであちこち色がはげている。他のティーカップとともにサイドボードに入っていると、みすぼらしさは否めず、哀れに感じました。古道具店の人に聞いたところでは、日本の陶磁器メーカーで当時、家庭用に作られた大量生産品。懐かしむ人は多いけれど、非常にたくさん出回ったので、骨董としての値はつけられないとのこと。
しばらく持っていましたが、このまま肩身が狭そうにサイドボードの隅にあるよりはと、処分を決心。燃えないごみの日に、出しました。ごみにするというのに、割れないよう気をつかって重ね、送り出す思いで収集スペースに持っていきました。
手放してみれば、「捨てなければよかった」という後悔は意外なほどわいてきません。それまでも、とってはあったけれど、まったく使わないまま、10年、いえ、それ以上の月日が過ぎていた。これはもう思い出は胸の中にしまわれて、モノというよすががなくとも、わたしはその思い出を繰り返し呼び覚ますことができると、確認できた気がします。