でも、できれば死ぬまでなるべく元気でいたい。というのも、心身ともに健康でいたほうが、身軽でいられるからです。そのためには、やるべきことはやったほうがいい。

僕は若い頃、肺結核になり、ストレプトマイシンのおかげで命拾いをしました。そのせいか医療を信じているところがあり、50年以上、毎年、人間ドックを受けています。

身軽になるための準備として、本の処分もだいぶ前から始めました。以前は大きな書庫があり、天井までぎっしり本が詰まっていて、雑誌の取材などでカメラマンが来ると必ずその書庫で写真を撮りたがったものです。でもどんな貴重な本でも、もう自分が一生触らないなと思ったら処分したほうがいいと思って。

もともと愛着を持って何かを手元に置くのは、面倒だからあまり好きではない。地方や海外に旅しても、お土産を買ってきて家に飾る趣味もありません。できるだけシンプルでいたいから、小説も長編ではなく、短編を書いてきたんでしょうね。

本は減らしていたものの、2011年の東日本大震災の際、けっこう書棚から落下してねぇ。その頃、次男が「親父たちもこの先、歳をとるし、近くに住んだほうがいいんじゃないかな」などと言うものだから、書庫を壊して次男が家を建てることになり、一気に本を処分しました。

でも、そばに住んでもらってよかったと思います。妻の病状が急変した時も、次男が車を出してくれましたし。

後編につづく

【関連記事】
<後編はこちら>阿刀田高91歳ひとり暮らし「若い頃はよく銀座で飲んだけれど、実はそんなに酒好きではなかったと気が付いた。酒場で聞いた話で書いた小説も」
90歳・ひとり暮らしの作家・阿刀田高 「死は無である」と信ずれば、残りの人生になんの苦労も屈託もなくなる。自分の墓のこともどうでもよくて…
90歳の作家・阿刀田高 <レビー小体型認知症>を患い施設に入った妻。生活はつつがなくても「屈託がないとは言えない」