加助神社

その影響かどうかは分からないが、享保10年(1725)に水野家が改易となり、翌年、戸田家が再び藩主に返り咲いたのを契機に義民の顕彰が始まった。

そして、加助騒動から50年を迎えた享保20年(1735)、加助や処刑された一族を祀る祠が屋敷神として建てられた。

(写真提供:Photo AC)

騒動二百年祭(1880)には多田家の祠を旧郷倉跡に移して社殿が造営され、「加助神社」と呼ばれる社となった。

明治になって水野家から加助坐像と金一封が加助神社に寄贈されたのだが、この坐像は騒動後、「加助の祟り」を怖れた元藩主水野氏が作らせて邸内に置いてあったものといわれている。