自分の子にも同じ名前を与える!?
これは偉大な祖先にあやかって同名を名乗った結果ですが、後世の私たちからすると、「孝景といえば誰なのか」が非常に分かりにくい。
そこで、戦国大名初代の孝景については、かつて彼が名乗っていた「敏景」の名を用いたり、法名の「英林」として区別することがあります。
「孝景十七条」を「敏景十七条」もしくは「英林十七条」と呼ぶことがあるのはそのためです。
話はここで終わりません。戦国初代・孝景は、「教景(のりかげ)」という名前も用いていました。そして朝倉家の中では、この「教景」という名前が繰り返し使われます。
朝倉家五代目も教景、六代目も教景、さらには七代目の孝景も一時期は教景だった、というわけです。
さらに面倒くさいことに、七代目孝景は、自分の息子たちに同じ名前を与えています。
五男が教景、八男も教景です。
この八男の教景こそが、有名な朝倉宗滴(そうてき)。
「武士は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本にて候」という言葉で知られる、戦上手の名将ですね。
