60歳を過ぎた木綿子は父の介護と引きこもりの娘の世話に日々追われている。不幸ではないが、いろんなものを諦めてきた人生だった。けれど、ひょんなことから知り合った2歳年下の男と出逢う。二人は互いに惹かれていくが……。遠田潤子さんが描く、静謐で過激な大人の恋愛小説。ぜひお楽しみください。

 麻子が生まれて以来、およそ三十年ぶりくらいのセックスだ。子供を産んだ女だが、処女と同じような気持ちだった。さきほどまでの落ち着きは消し飛んで、心臓が信じられないくらい速く打って、身体が強張っていた。
 霧はなにも言わなかった。愛しているとも好きだとも、かわいいとも素敵だとも言わず、ただ私を抱きしめた。ふっと思い出したのだ。大学生の頃、はじめて夫とセックスをしたとき、彼はうるさいくらいに喋り続けていた。君は素敵だ、なんて素晴らしい――と。
 でも、霧は喋らなかった。四十年前の男と比べてしまった自分を叱った。これは逃避だ。眼の前のセックスが怖くてたまらず、過去を思い出すことで逃げているのだ。
 霧の身体は想像よりもずっと筋肉質だった。印半纏を着ていると痩せて見えるのだが、やはり毎日の蔵仕事のおかげだろうか。私は惨めになって、泣き出しそうになった。
 三十年ぶりのキス。三十年ぶりの愛撫。
 乳房を吸われても性器に触れられても、それが快感だとわかるものはなにもない。なのに、頭も身体も熱くなって痺れたようで、わけがわからなくなって、我を失っていくのがわかるのだ。