長老は権力を振りかざさない
北田先生をみんなが尊敬していたので、先生が何か言うと収まるというところがありました。教員同士で意見の対立するような場面があったとしても、先生がいることで悪化しません。
でも、北田先生には“鶴の一声”といった強引さは見られませんでした。鶴の一声とは、意見や利害が対立する多くの人を否応なしにしたがわせる権威者・権力者のひと言を意味します。北田先生はそうではなく、「ということで、であるならば、こういきましょうかね」というように全体の空気も勘案して、長老としての発言をされていたと思います。だから、尊敬されて愛されていたわけです。
私は個人的にも飲み屋さんに連れていってもらったりしたので、北田先生はお父さんみたいな存在でした。お父さんといっても、30代の私にとってのお父さんですからおじいさん的な感じです。
北田先生が70歳で辞められたあとは、なぜかあまり泊まりがけで旅行に行くことがなくなりました。先生が長老としていてくれたから、みんなが集まっていたんだなというのが、あとでわかりました。
北田先生の良さは権力的ではなかったということです。みんなに精神的安定感をもたらすような慕われる存在でした。
※本稿は、『長老力 老害と呼ばれない人になる!』(山と溪谷社)の一部を再編集したものです。
『長老力 老害と呼ばれない人になる!』(著:齋藤孝/山と溪谷社)
「長老力」とは、年齢を重ねたことで得た知恵や経験、洞察力を生かして周囲に貢献する力。
「長老力」と「老害」の決定的な違いは「謙虚さ」と「他者への配慮」である。
長老力を発揮し、老害とならないための方法を古今東西の具体例をまじえながら、わかりやすく解説。





