当時、学生演劇ブームで、東の「夢の遊眠社」、西の「そとばこまち」と言われていた。
――ええ、東大駒場キャンパスにまだ駒場小劇場があって、観に行ったこともありますよ。
劇団2年目のときに、生瀬(勝久)さんが入ったんです。彼は同志社大学の喜劇研究会で落語や漫才をやってたんですが、マキノノゾミさんの劇団に出ているのを辰巳さんが観に行って、面白いやつがいるからうちに入れる、ってなった。
劇団では僕が先輩だけど、歳は向こうが僕より二つ上。京都女子大学の学生も含めて、当時は60人くらい劇団員がいました。
でも、大学卒業後も芝居の道に進む人はほとんどいなくて、辰巳さんが朝ドラのオーディションを受けて通ったのが例外的でした。生瀬さんも就職が決まったけど、人生は一回きりだから好きなことをやる、と思って辞めた、って話を聞いた。
僕はあんまり芝居が好きすぎて、それを仕事にしちゃうと、この楽しさが削がれちゃうんじゃないかと思って。就職してその合間で芝居に関わることができたらいいな、という気持ちで会社員生活を選びました。