それでも結局は会社を辞めて演劇の道に。

――僕は合成潤滑油のメーカーに勤めていたんですが、会社員2年目の時、生瀬さんがそとばこまちの座長になったので、僕もちょっと手伝いたいという気持ちが芽生えたんです。それで再び劇団に参加するようになり、退勤後は終電ギリギリまで稽古場に通う毎日。

3年目、初めての東京公演を下北沢の本多劇場で打つことに。『冬の絵空』という、忠臣蔵をベースにした芝居なんですが、僕は天野屋利兵衛、生瀬さんが討ち入りしたくない大石内蔵助(笑)。当時、小劇場ブームみたいなのがあったんで、5日間くらいの公演でした。

ところがちょうど同じタイミングで、会社からハワイ出張の話をもらったんです。4年近く勤めたので、半分ご褒美でもあったんですけど、それが東京公演と重なった。

このままでは両方に迷惑をかけると思って、生瀬さんに相談したら「食うくらいは大丈夫なんとちゃう?」と言われて、会社を辞めました。これが第2の転機ですね。

この時、両親は大騒ぎで、家族会議とかになったんですけど、後々話を聞いたら会社と芝居を並行してやってた頃のほうが心配で、早くどっちかに決めればいい、と思ってたとか。なんか、これも後々聞いた話では親父もお袋も学生演劇で出会ったらしい。

この間、2人が扮装してる写真が出てきて、なあんだ、と思いましたよ。僕が芝居の沼にハマることは2人ともわかってたみたいで、大学に入学してすぐ劇団に入った時、ついに来たか、って。(笑)

後編につづく

【関連記事】
<後編はこちら>山西惇「稽古通りになんでやるの?これライブやねん」というさんまさんの、毎日変わる芝居に鍛えられ
市村正親「舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』に三役で出演。ダンブルドアの重いセリフを説得力を持って言えるようになるには、ボロボロになるまで…」
小川菜摘「子育てで20年以上のブランク。舞台復帰を支えてくれたものは」