毛利との和睦が「中国大返し」を可能にした

信長の死に驚いた秀吉でしたが、毛利家との和睦締結の交渉を急ぎます。

(『豊臣兄弟!』/(c)NHK)

高松城救援は困難と見て秀吉との和睦に応じた毛利方。

これまた高松城が落城間際まで追い詰められていなければ、毛利方は早期の和睦に応じず、秀吉の「中国大返し」は困難だったかもしれません。

予定通り4日に毛利と和睦した秀吉は、清水宗治の切腹を見届け、5日には進軍を開始。

同日中に沼(岡山市)に到着し、6日には播磨国姫路城に入るのです。