命を切り売りしているようなもん
医師は「勤務医」と「開業医」に分けられる。われわれ勤務医は病院やクリニックに雇われながら固定給で働くのに対し、開業医は自らのクリニックを経営し、一般的に勤務医以上の高給を得る。勤務医の平均年収は約1461万円で、開業医のそれは約2631万円とされる。
「でも、開業医になって一番のメリットは当直から足を洗えたことだわ」
吉木は心底、清々したと言わんばかりに続けた。
「睡眠時間を削って救急対応して、次の日もふつうに働くって、今思えば異常だよ。命を切り売りしているようなもんだよな」
彼の言葉どおり、開業医と勤務医の大きな違いは勤務形態であり、当直の有無だろう。放射線科など一部の診療科をのぞき、基本的に勤務医は当直をこなさなければならない。救急外来を抱えるわが三王子病院も然りで、勤務医なら避けて通れない業務(2)だ。
当院には300人以上の患者が入院していて、日中は非常勤含め約20人の医者が稼働するのに対し、当直業務はたった1人である。夜間、入院患者に不測の事態が起これば、その対応をこなさねばならないし、急患が来ればその診療も1人で行なう。前日から30数時間ぶっ通し(3)の勤務になることもあり、負担は大きい。
それでも精神科の当直は、ほかの診療科にくらべると格段に楽だ。精神科では患者の身体的な急変が少ないためだ。よくあるのは「転倒」「発熱」といったマイナートラブルで、三王子病院の若手医師の中にはSwitchを持ち込み、「今月の当直だけで『ゼルダの伝説』クリアしました」と自慢げに話す者もいる。
その日朝8時からの通常勤務を終え、同僚たちは続々と帰途につく。19時、病院が静かに夜の闇に包まれる中、当直の私は医局のデスクで後輩に頼まれた指定医レポート(4)をチェックしていた。
(2) なお、妊娠中の女医や70代の超ベテラン医師は当直が免除される。また、三王子病院には定期的に大学から医師が派遣されており、当直を若手医師で回せるため、管理職はほとんど当直をしない。
(3) つい最近まで医師の労働時間に明確な上限はなく、36時間連続勤務などが常態化していた。2024年4月から医師の働き方改革が行なわれ、原則として連続勤務は28時間までと定められている。ただしあくまで“原則”にすぎない。
(4) 精神保健指定医の資格取得に必要な症例報告書。指定医は、措置入院や医療保護入院など、本人の同意がない精神科入院を判断・実施できる権限を持つ。取得には一定の精神科経験に加え、症例レポートの提出と厳しい審査が求められる。この資格を所得して初めて「精神科医」を名乗れると言っても過言ではない。実際、指定医の診察では診療報酬もアップする。
