当直中の様子

プルル、プルル。胸ポケットに軽い振動。救急外来の受診相談だった。

「息子が発作で過呼吸が止まらないんです。今すぐ受診させてください」という母親からだ。患者は20代男性で、以前から近くの病院で不安障害と診断されているという。

不安障害の人が、急な恐怖感とともに息苦しさや心臓の強い鼓動を感じ、嫌な汗が出てくる状態をパニック発作という。「このまま死ぬんじゃ」と思うほど強烈な戦慄を感じるが、30分以上続くことはないので放っておけば治ることが多い。「病院に来たってすることありませんよ」が本音だが、強い希望で来院となった。

19:30、患者と母親が来院。思ったとおり、すでに発作は和らいでいる。就職活動中らしく、明日の最終面接を前に緊張感が高まり発作が誘発されたようだ。大事な面接を突破できるように労い、頓服薬を処方して帰宅してもらう。

20:15、遅めの夕食。当直中は検食(5)があり、患者と同じ食事を無料で食べられる。精神科病院の食事は味気ないことが多い中、わが三王子病院のメニューはわりと美味しく、独身かつPFCバランスを気にする私にとってもありがたい。今夜のメニュー、生姜焼きとサラダのセットを、ひっそりとした食堂でかき込む。

21:00、消灯。病棟全体から光が消え、院内は暗闇に閉ざされる。各フロアを巡回していると、保護室のひとつから大きな音がする。隔離されている患者が「うるさい! 汚い!」などと叫びながらドアを蹴っている。看護師に臨時の注射を指示。戻ろうとすると、仲の良い看護師から「先生、これ脂質少ないんで良かったら」とカカオ70%のチョコを差し入れとしてもらう。こういうさりげないやりとりから院内恋愛が生まれたりする――なんてことは、まるでない。

23:00、「今日は早く眠れそうだ」と安心して当直室へ。当直室は安いビジネスホテルの一室のような造りで、ベッド、シャワー、小さなテレビが付いている。待遇のいいところだとカップラーメンや飲料水も「ご自由にどうぞ」と置いてあったりするが、三王子病院はそこまで気が回らない。その代わり、前の医師が置きっぱなしにした『ゴルゴ13』のコミックがある。一昔前だとエロ雑誌やアダルトDVDが平気で転がっていた。医師たちも夜の個室で退屈になれば、欲望に忠実なボノボ(6)と化す。私は欲望は自宅でゆったり処理したいタイプなのでさっさとシャワーを浴びてベッドに入る。「違うベッドだと寝れない」という人がいるが、私はどこでもすぐ眠れるほうで今夜も気づいたらうとうとしていた。

(5) 患者に提供される食事の安全と品質を確保するため、提供前に医師や栄養士、看護師などの責任者が試食・確認を行なう。食中毒防止や原因究明のため法律で義務付けられており、異物混入、味、見た目、硬さ、温度、栄養バランス、アレルギー対応などを確認し、検食簿に記録する。産婦人科医院に勤務経験のある医師によると「産婦人科とここ(三王子病院)ではメニューが雲泥の差」らしい。

(6) チンパンジーの近縁種・ボノボは性行動が非常に頻繁で数時間おきに自慰をする。あいさつ時には、緊張を和らげるために「ボノボ・ハンドシェイク」と呼ばれる方法で互いの勃起した性器に触れる。チンパンジーが群れの問題を暴力で解決するのに対し、ボノボは親愛行動(スキンシップ)で解決を図るらしい。そう考えると人間よりもボノボのほうが高潔な気がする。