60歳を過ぎた木綿子は父の介護と引きこもりの娘の世話に日々追われている。不幸ではないが、いろんなものを諦めてきた人生だった。けれど、ひょんなことから知り合った2歳年下の男と出逢う。二人は互いに惹かれていくが……。遠田潤子さんが描く、静謐で過激な大人の恋愛小説。ぜひお楽しみください。

 

第三章 歯車

 

 歯車が狂う、とはよく使われる言い訳だ。

 自分たちに落ち度はないのに勝手に上手くいかなくなった、という責任逃れの言葉に過ぎない。歯車が狂う予兆は必ずある。ただ、気付かなかったか、気付いていたのに無視しただけのことだ。

 あの頃、私は浮かれていた。翼などないのに美しい空を見上げ、今は飛べないけれど大丈夫、いつかきっと飛べるから、と感じていた。そんなふうに浮かれて舞い上がった私は気付かなかった。だが、気付いていた者はいた。つまり私の落ち度なのだ。

 週に一度、ベーカリーカフェの仕事帰りに父を見舞う。

 担当医の話では、もうできることはなくただ死を待つのみであるとのこと。点滴と酸素吸入で命を繋いでいるだけだ。父はゆっくり死ぬのか、明日死ぬのか、それは誰にもわからない。だから私はただ待っている。今はもう父の死を願っているわけではない。

 夏から秋へ、秋から冬へ、季節が移り変わるように父も移っていくだけ。そんなふうに父を送れたらどんなにいいだろう。私はいまだに父を許すことができない。私に向けられた軽蔑や憎悪はいい。だが、霧と麻子への暴言は許すことができなかったのだ。

 

        *

 

 二〇二五年 七月(1)

 

 霧と結婚する際、一番問題になったのは父のことだ。霧は父が施設を拒否していることを知っていたので、こんな提案をした。

「君と二人だけで暮らしたいのは山々だが……君のお父さんも引き取って一緒に暮らすしかないと思う。もちろん、望めば麻子ちゃんもだ」

 寛大な申し出だった。

「ありがとう、霧さん。でも、父と一緒に暮らすのは無理だと思う。……だから、思い切って今度こそ施設に入ってもらうつもり」

「でも、君のお父さんが承諾しないだろう」

「今まではそうやって従ってきたけど、今度こそ父を説得するから」

「わかった。でも、無理だったら引き取ろう。俺に気を遣う必要などないから」

「ありがとう、霧さん」

 私は深く頭を下げた。これで父への対処は決まった。次に、麻子と話をすることにした。