裏庭での一枚。姉妹でお揃いのコートは、お母様(左)のお手製(写真提供:秋吉さん)

二人きりになると質問攻めに

母には胆嚢炎(たんのうえん)だと別の病名を告げ、黄疸(おうだん)の原因になっている胆汁の流れを改善するためにカテーテル手術を行うことにしました。

私は東京で撮影が終わると車で片道3時間かけて、何度も福島県いわき市の病院まで通ったものです。ときには母のベッドの脇にパイプ椅子を並べて仮眠をとったこともありました。ある朝、先生の回診中に眠りこけていたら、母から「恥ずかしい」と咎められてしまって。

母は、朝起きると毎日着物に着替えるようなきちんとした人。達筆で、料理も裁縫もお手のもの。私たち姉妹が幼い頃に着ていた服は、どれも母のお手製でした。小さくなると毛糸をほどいて、また作り直す。清貧を絵に描いたような人で、『主婦の友』の付録についてくる家計簿を毎日欠かさずつけていました。

そんな何ごとにも行き届いた人を相手に、病状や余命に気づかれないようにするのは大変な試練でした。それでも母が元気に過ごせる時間をともにしたくて、退院後は私の東京の自宅に呼び寄せました。

黄疸が消えたことで、母は自分はよくなったと思っていたのではないでしょうか。楽しげにしている姿を見ているのは切なかったのですが、私は努めて明るく振る舞い、一緒に温泉旅行にも行きました。

ところが、同居して2ヵ月ほど経った頃、大量に下血。そして医師の宣告どおり半年で逝ってしまったのです。

入院中、母はまるで思春期の少女のように死を恐れ、私を一人にしないでと言い続けました。不安だからナースステーションに一番近い部屋にしてほしい、必ず家族の誰かしらに一晩中いてほしい。母の最後のわがままを叶えるため、私と妹を筆頭に家族が順番に泊まり込みました。