11人きょうだいの6番目に育った母は経済的な事情から大学に進学できず、看護婦になった人でした。70代になってからコンピューターの操作を覚えたり、入院中には携帯から「今日は寒いからあたたかくしてね」と絵文字を入れてメールしてくるようになったりと、可愛らしく好奇心旺盛。

頭のいい人だっただけに大学で学びたかったという気持ちが強く、自分の夢を娘に託していた節があるのです。ハッキリ言われたわけではありませんけれど、私は文学少女だったので、将来は国語の教師にさせようと目論んでいたのではないかと思います。

ところが私は高校生のとき、『旅の重さ』という映画のヒロイン選考に応募して、ヒロインが出会う少女の役で映画デビュー。大学受験を控えた貴重な夏休みをすべて撮影に費やしたのは、志望校に余裕で合格できるだろうという傲慢さゆえでしたが、見事に全滅。

浪人生になるのはどうにもバツが悪くて、誘われるまま女優の道に進んでお茶を濁しました。母にしてみたら意表を突くような裏切りだったことでしょう。

私の出演した映画は初期の頃の1本しか観てくれなかった。父は有名になったなと喜んでくれて、これが親としての普通の反応だと思っていた私には母の気持ちがわからなかったけれど、今にして思えば、娘が女優になるなんて、嫌だったんですよ。

でも帰省すると、「ちゃんと食べてる? 寝てる?」と気遣ってくれました。女優になった娘ではなく、母にとっては子どものときの私のまま接し続けていたのだと思います。